千葉県大本山成田山新勝寺の歴史は古く,平安時代にさかのぼる. 江戸時代になると,成田山新勝寺の不動明王が人気をよび,この不動尊に参拝をする江戸っ子が増え,一大観光地になっていく. 江戸からは,徒歩で3泊程度で行ける距離だった.
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その参拝に使われたのが,成田街道(佐倉道/国道14号)だ. だが,防衛上の目的から江戸へ出入りする街道には関所番所が設けられた. 入鉄砲に出女」といい,江戸へ入る武器や江戸から出る女性を厳しく取り締まった.
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江戸時代の江戸川には,まだ橋が架かっておらず,舟で参拝者などを運んだ. 成田街道小岩市川渡しもそのひとつだ. その市川側と小岩側の渡船場には,通行人を監視する番所(その後関所)が置かれ,通行手形がないと通過することができなかった. 渡賃は,1730年ごろで 1人3文,馬1頭5文程度だった. 当時の米1升(1803cm3/水の容積で1.8kg)の小売値は,80文程度だった. 今の米価格で換算すると,人の渡賃は 10円くらいになるだろう.
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この関所近くの市川市市川3丁目に,市川発祥の山崎製パン(ヤマザキ)が(仮称)ヤマザキパン中央研究所兼研修センターを建設する. ヤマザキは,店舗内でパンを焼くインストアベーカリースタイルの店を積極的に展開している. パンの生地を工場で作り,冷凍にした状態で各店舗に運び,えそれを店舗で焼くのだ. この方式であれば,それほど早い出勤をしなくても,焼きたてのパンを提供できる. しかし,パンの品質がそれぞれの人に依存するため,社員教育(研修)が重要になってくる.
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今回建設する施設は,これらの店員を教育するための施設となる. 施設は,地下1階,地上7階建てとなり,延床面積約1万8851m2になる. 施設内には,宿泊施設と社員のための食堂も作られる. 建設は,三井住友建設がおこない,2013年11月完成予定になっている.
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