ららぽーとTOKYO-BAY映画館(シネシックス)ができたのは,1988年(昭和63年)3月の,ららぽーと2(現,ららぽーと南館)が造られたときだった.
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当時は,シネマコンプレックスがまだ一般的なものではなく定義すらはっきりしていなかった. シネシックス(シネ6)は,今主流となっているシネマコンプレックス(マルチプレックス)の原型になったともいわれている. 当時の構成は,ららぽーと東宝,スカラ(東宝系),プラザ(東宝系),セントラル1(松竹系),セントラル2(松竹系)の6スクリーンだった.
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映画は,製作配給,興行(映画館)という工程をへて見ることができる. かつての日本の映画業界は,これらの工程全てを各社大手映画会社が独占していた. いわゆる系列だ.
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邦画系列は,東宝,東映. 洋画系列が東宝洋画(日劇,日比谷スカラ座),松竹東急(丸の内ピカデリー,丸の内プラゼール,丸の内ルーブル)などと分かれている.
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ららぽーとのシネシックスは,ロビーなどは共有されていたものの,東宝,東映,松竹の大手3社系列が個別に興業し,まだ従来型の系列映画館の形態を引き継いでいた. シネシックスはその後シネマテンになり,東映(180席),ミラノ(104席),セントラル1(132席),セントラル2(132席),松竹(99席),スカラ(310席),プラザ(310席),東宝(310席),シネ1(95席),シネ2(95席)の,10のスクリーンで構成された.
TOHOシネマズ船橋ららぽーと.
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映画は,巨額な政製作費をかけても興業(上映)するまではヒットするのかはわからない. 低予算でも,ヒットした映画も数多い. だが,スクリーンが系列によって固定化されてしまっていると,客が入りきれないほどのヒット作があっても,となりのスクリーンはガラガラということもよくある. 系列が違えば,大きいスクリーンに切り替えることすらできない. さらに,系列映画館では,独自に上映作品を決定(番組編成)することもできない.
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このような問題を解決するのがシネマコンプレックス(略称,シネコン)だ. ヒット作に応じて,日単位でスクリーンを柔軟に変更できる. 日本で,シネコンが一般化してくるのは,1990年代になってからだった.
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そして,3社の協同運営をやめて東宝系に1本化する. 2004年10月30日(土)からTOHOシネマズ船橋ららぽーととして生まれかわったのだった.
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そして,今回新しいシネマコンプレックス型映画館ができた...続きを読む